貧困な魂が自動車というボディを得ると…

最近の事件に因んで、毎日新聞の10月17日付け「余録」を読んでみます。
余録「ロード・レイジ」は直訳すれば「路上の逆上」で…
https://mainichi.jp/articles/20171017/ddm/001/070/112000c

 「ロード・レイジ」は直訳すれば「路上の逆上」で、米国では自動車のドライバーをたけり狂わせる憤怒をいうらしい。ヴァンダービルト著「となりの車線はなぜスイスイ進むのか?」(早川書房)で知った▲歩いている時は紳士的なグーフィーが車を運転するや攻撃的で危険な性格に一変するのは70年近く前のディズニーアニメである。後ろからあおられた時、無理な割り込みをされた時、カッと頭に血がのぼる経験は誰しもお持ちだろう▲「現代人はサイボーグなのだ」とは米社会学者カッツの言葉という。グーフィーのアニメがいうように車という鎧(よろい)をまとって一体化する。鎧の中で匿名化した自我は普段の抑制から解き放たれ、怒りを招く他者に攻撃的になっていく▲そうだとしても、こんなひどい話は聞いたことがない。高速道路の追い越し車線で他の車の進路を阻んで止めさせ、追突死亡事故を招いた疑いで男が逮捕された先日のニュースだ。こちらは全身凶器と化したサイボーグというべきか▲男はパーキングエリアでの不正駐車を被害者に注意されたのに怒って高速道路でつきまとい、この挙に及んだという。以前にも他の車への低速での進路妨害をくり返しているから、まさに人車一体のいやがらせの常習者だったらしい▲むちゃな運転に迷惑しても怒りは抑えた方がよさそうだが、こんな手合い相手ではどうしようもない。無法運転や暴力は警察に通報し、ドライブレコーダーなどでの自衛も考えたいロード・レイジ対策である。


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貧困な魂が自動車というボディを得ると、凶暴なサイボーグと化す。
昨日も山手通り松濤あたりで、やたらクラクションを鳴らし続けて前車を威嚇する自動車を目撃しました。(いったい何がしたいのでしょう?) こんなことが実は日常的らしいのです。
しかし「凶暴」でなくとも、クルマに乗っているがために本来の人間としての視点を失っているのではないかと自らを疑ってみることは、すべてのドライバーにお願いしたいと思います。
自転車乗りもまた、自戒を保ちたいところです。

posted by tomi at 05:11Comment(0)日記(雑感)

大型ベビーカーはどこを通行する?

「大型ベビーカーはどこを通行する?」という問いに、経済産業省、国土交通省、警察庁の解釈がからんで右往左往したようですが、結局つぎにご紹介するNHKの報道のあたりにとりあえず解釈上は収拾するようです。
しかし必ずしも幅員が十分でない現状の歩道を大型のベビーカーが通行するというのは、実際には問題も多いでしょう。
大型ベビーカーと歩行者がすれ違いできなければ、どちらかが車道へ回避しなければならないのでは?
大型の機材を使おうとすればそういう場面は当然起こり得ることです。
そのような歩行者または手押し車が車道を通行する時でも、歩行者や自動車の注意により事故は防がれなければなりません。
寸法的には軽車両にあたるようなベビーカーですから、狭い歩道を通行できずにずっと車道を行く場合だってあるかもしれません。
そのとき、「ベビーカーが車道を通行するとは危険で無謀」と非難するのか、ベビーカーが車道でも安全に通行できるように周囲も配慮するのか、どのような交通社会が望ましいでしょうか。
車道が「危険」というのは、もちろん車道に自動車がいるからです。
自動車が我が物顔に何ら注意も払わなかったら、そりゃあ危険にもなりますよね。

“大型ベビーカー”は車道に? (NHK NewsWeb 9月14日 12時10分)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170913/k10011138051000.html

“大型ベビーカー”は車道に?
小さな子どもたちが何人も乗ったリヤカーのような大型のベビーカー。見かけた方は多いのではないでしょうか。都心の保育園で小さな子どもたちを近くの公園に連れて行く時などに使われています。この大型のベビーカーに電動アシスト機能が付いた特定の製品について「軽車両として車道を通行する必要がある」という国の見解が出されたのに対し、ネットでは「ベビーカーが車道を通行するなんて危ない」と疑問の声が相次いでいます。見解の真意と議論の背景を取材しました。(ネットワーク報道部記者 戸田有紀 郡義之 伊賀亮人)
ネットで議論 “ベビーカーは「軽車両」か”
発端となったのは9月7日に経済産業省が出したニュースリリースです。「電動アシスト機能が付いた6人乗りのべビーカーは『軽車両』に該当するため、道路交通法上、車道もしくは路側帯の通行が求められ、道路運送車両法上、警音器の設置など、『軽車両』の保安基準に適合する必要がある」と見解を示したのです。
これに対して、ネットではさまざまな意見が飛び交いました。

(ネット上の意見例)
賛否さまざまな声があがり、ネットで議論となったのです。

経済産業省では
ではそもそもなぜ、こうしたリリースを出したのか。経済産業省に聞いてみました。まず回答があったのは、「これは特定の製品についての見解で、大型ベビーカー全体に出したものではない」ということ。
経済産業省によると今回の見解は商品やサービスを提供する上で規制のあいまいな部分を解消して企業の競争力を高めることを目指す「グレーゾーン解消制度」に基づいて検討した結果だとしています。この制度は、企業が事業を始める際にどんな規制がかかるかを企業側が事前に確認できることで規制が多い分野でも新規参入を促すことが目的です。今回のケースでは、電動アシスト機能付きの大型ベビーカーの輸入販売を検討している企業から、法律上の扱いを照会されたということです。
道路交通法を所管する警察庁、道路運送車両法を所管する国土交通省に確認したところ、観光地で使われる人力車などと同じように「軽車両」にあたると回答があったことから冒頭の見解を示したということです。
そもそも警察庁では平成27年1月に、電動アシスト付きのベビーカーは、大きさとして、長さが120センチ、幅が70センチ、高さ109センチを超えないことや、最高速度が時速6キロを超えないことなどを条件として、車道を走らなければいけない「軽車両」ではなく歩道の通行が可能な「乳母車」として扱うという見解を示しています。
今回、照会があった大型ベビーカーは、この基準に照らし合わせてみると車体の大きさなどが超えていて、「乳母車」ではなく「軽車両」と判断したということです。
一方、経済産業省では、今回の見解は、あくまで照会元の企業が指定した「特定の製品」についてのもので、アシスト機能が無い手押しのものなど、大型のベビーカーすべてに適用されるものではないとしています。

大型ベビーカーの需要は増加
ベビー用品の輸入を手がける大手代理店によると、過去に電動アシスト付きの大型のベビーカーを販売したもののあまり売れなかったことから、現在は扱っておらず、国内ではほとんど普及していないと見られるということです。
一方で、手押しの大型ベビーカーそのものの需要は増えているということです。背景には、大きな庭のない保育園の存在があります。
国は待機児童の解消のため、保育所の設置について規制を緩和。商用ビルなどの中でも保育所の新設を可能とし、さらに近くの公園を使うことも奨励したことで、土地の確保が難しい都市部を中心に、園庭の無い保育園が増えているのです。こうした保育園では子どもたちの外遊びの機会を確保するため、近くの公園に散歩に出かけることが多くなっています。歩くのもおぼつかない小さな子どもたちを公園に連れて行くためには、大型ベビーカーが欠かせないというのです。

保育士の負担解消に
東京・世田谷区にある「太子堂なごみ保育園」では、これまで4人乗りの大型ベビーカーを1台使っていました。園庭が無いため、少しでも外で遊ぶ機会を増やそうと、今年になって手押しの大型ベビーカーを2台購入し、来月までにもう1台購入する予定です。
園の担当者は「子どもは行動が予測不可能なため、保育士が園児の手を引いて外出するのは交通事故のリスクもあり、負担が大きい。そうした負担を軽くする点からも大型のベビーカーは本当に重宝している」と話しています。

どう扱うべきか?
こうした大型ベビーカーの需要の高まりを見て、電動アシスト付きも一定の需要が見込めると考えたことが、販売を検討している企業が法律上の扱いを経済産業省に照会した理由だということです。結果的に車道を通行する必要性があるという形になったことで、販売につながるかは不明ですが、今回示された見解では、別の疑問が解消されていません。
そもそも手押し型の大型ベビーカーの法律上の扱いはどうなるのかは、見解が示されていなかったからです。政府の待機児童対策に合わせて保育の現場で必要性が増している大型ベビーカー。法律上の扱いを明確にするだけではなく、子どもたちの安全と保育士の負担軽減という観点を大切にして、対応を検討していくことが求められています。

(追記)
私たちが取材した後、動きがありました。警察庁が14日、手押しの大型ベビーカーに対する見解を明らかにしたのです。
手押しのものは大きさに関わらず、すべて「歩行者」と同じ扱いとなり、歩道を通行できるというものです。ちなみに、障害者や高齢者が使用する電動の車いすも「歩行者」として扱われ、歩道を通行できます。歩行者もベビーカーも歩道を安全に通ることができるよう配慮しあえるといいなと思いながら取材を終えました。


posted by tomi at 11:57Comment(2)関連ニュース

認知症になりにくいまち=歩行・社会参加がカギ

毎日新聞の記事を紹介します。
何が地域での認知症率を分けるのかということですが・・・
人間を人間たらしめているのは「歩く」ことだというところでしょうか。

私の社会保障論 認知症になりにくいまち=歩行・社会参加がカギ
千葉大予防医学センター教授・近藤克則
毎日新聞2017年9月13日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20170913/ddm/016/070/023000c


 他のまちに比べ、3倍も認知症になりやすいまちがあると言ったら信じてもらえるだろうか。しかも高齢化が進んでいる地域だから多いのではない。前期高齢者(65~74歳)に限定して比較しても、3倍の差が残るからだ。

 これは10万人超の高齢者にご協力いただいた日本老年学的評価研究(JAGES)の調査で見えてきた事実である。最初は何かの間違いかとも思った。しかし、多くの健康指標において、2010、13、16年の3度の調査で繰り返し見られるのだ。このような地域間や集団間の健康状態の差を健康格差と呼ぶ。

 同じ日本国内なのに、なぜ、これほどの健康格差がみられるのだろう。その理由を解き明かすことができ、それを積極的に活用できれば、そこに暮らしているだけで、さほど意識をせずに認知症になりにくいまちや社会をつくれるかもしれない。前回の本欄でも紹介した「ゼロ次予防」に向けた研究を進めている。

 認知症予防の手がかりが見えてきている。歩行などの身体活動量が多い人ほど認知症になりにくい。さらに、速足で歩いたり障害物を避けたりしながら計算するなど、頭を使う活動を加えた複数課題を同時にこなすと、より有効だとわかってきた。

 調べてみると、認知症リスクを持つ人の割合は大都市部で低い。移動を車に頼りがちな地域では、家-駐車場-目的地の間しか歩かない。それに比べ、公共交通機関を使う都市部の人の歩行時間は長い。家から駅やバス停までと、降りた駅から目的地まで数分ずつは歩く。しかも、しばしば乗り換えが必要になる。

 東京のような大きな駅で乗り換えとなると10分くらいは歩かされる。さらに「○○線より△△線の□駅乗り換えの方が早いかな」などと頭で計算しつつ、人とぶつからないよう避けながら、電車に間に合うように速足で歩く。これは計算+障害物回避+速足歩行だから、みごとな認知症予防のための複数課題の同時処理になっている。

 しかし、家に閉じこもっているのではこれらの恩恵は受けられない。出かける目的が必要で、回数も多い方が良い。調べてみると、趣味やスポーツをはじめいろいろな地域組織に参加している人が多いまちでは、認知症、転倒、うつのリスクも、さらには要介護認定率まで低いことがわかってきた。つまり、社会参加やそれを通じた人との交流・身体活動量が多いまちが健康なまちなのだ。

 歩行・運動を促す交通政策や都市計画から、社会参加を促すコミュニティー政策やボランティア政策、文化・スポーツ政策などまでが健康なまちづくり政策になる。世界保健機関は「すべての政策に健康の視点を」と宣言を出している。


posted by tomi at 05:39Comment(0)まちづくり・商店街

昨年の交通事故死者が67年ぶりに4000人を下回り・・・

こういう考えの人が世の中に少なくないのでしょう。
一つの考えるよすがとして読んでみましょう。

日本経済新聞2017年1月6日付け「春秋」
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO11372950W7A100C1MM8000/
 「輪タク全盛」と、物の本にある。1949年、つまり終戦から4年後の話だ。自転車に急ごしらえの座席をつないで客を運ぶ銀輪タクシーが道にあふれ、この年、全国で1万3000台にのぼったという(「昭和・平成家庭史年表」)。焼け跡を走り回ったのだろう。
▼昨年の交通事故死者が67年ぶりに4000人を下回り、そんな時代と同じ水準にまで戻ったそうだ。輪タクゆきかう戦後まもないころとは比較にならぬ交通事情なのに、そこまで犠牲者を減らせたのだから驚くほかない。警察や行政が地道な努力を重ね、人々がルールをきちんと守ってたどり着いた「1949年」である。
▼もっともこの統計からは、いまの世の中の別の顔もうかがえる。死者数の半分以上は65歳以上の高齢者で、これまでで最多の割合だ。背景にはむろん、高齢者人口の増加があろう。それに事故死の減少そのものが、クルマ離れと関係があるのかもしれない。若者が減り、教習所だって生徒を集めるのに苦労する昨今なのだ。
▼輪タク全盛の49年は自動車が急増しはじめた年だと、冒頭にあげた年表にある。交通死もこのころから高度成長期を経て増え続け、交通戦争と呼ばれる深刻な事態に至った。その敵をどうにか抑え込んできた日本社会だが、いまはまた新たな戦争に向き合っている。少子高齢化と人口減――この敵に打ち勝たねばならない。


このコラム執筆者はもっともらしい事を述べながら、実はある思考傾向を露呈しています。
◆自身でも「比較にならぬ交通事情」と言っています。「そこまで犠牲者を減らせた」というのはまったく数の上での匹敵でしかないのです。しかしあえて「輪タク」をも持ち出して、読者に回帰するべくもない時代に再会したような錯覚を与える、あざといレトリックです。
◆「驚くほかない」とは、コラム執筆者が認識する現状交通環境ではもっと多くの犠牲者があって当然という意識の裏返しです。またそれは一つの社会的メリットには代償があるという、犠牲を前提とした社会構造を追認する姿勢でもあります。
◆「警察や行政が地道な努力を重ね」→クルマ社会にあっては自動車メーカー責任が不問にされていること、交通システムの根本的欠陥が放置されているなどの事実を、私たちは知っています。
◆「人々がルールをきちんと守って」→きちんと守っていたら、死ななくても済んだ交通死者では?
◆文脈から、交通死が戦争並みだという認識はコラム執筆者にあるようです。しかし交通死が「数」でしかない彼の関心は、コラムの後半では「新たな戦争」へ向かっています。まるで「こっちの戦線はすでに見通しがついた! 次はあちらの戦線に兵力を向けよ!」と号令する将軍様みたいです。コラム執筆者のマクロな目は、交通死者をすでに過去に置き去っているのでしょうか。