完全自動運転車にかかる「コスト」は誰が払うのか

こんどは「完全自動運転車にかかる『コスト』は誰が払うのか」というテーマのお話です。
じつは、完全自動運転車を公道で実用走行させるためには、自動運転車そのものをはじめ、その走行を支えるために色々なコストが必要なのだそうです。
例えば、完全自律型の自動運転車が公道を走るためには、高精細地図とのリアルタイム通信や位置情報取得のための高精度センサーが必要です。それらは何も無い所から湧いてくるわけではありませんから、誰かが費用負担して設置運営しなければならない、ということはなるほどと思われます。
では、その費用負担をするのは誰なのでしょう?
自動運転車の持ち主が負担するのか? それとも公費で賄うのか? 公費というのは元は税金です。国民のなかには自動運転を使う人もいれば使わない人もいるでしょう。それなのに一律に税金として負担することは納得を得られるでしょうか? では目的税のようにして、自動運転車の購入費や利用料に上乗せして徴収するのでしょうか? いったい幾らまでなら負担しますか?
「へえ~、自動運転って今こんなとこまで開発が進んでいるんだ~」「自動運転になったら交通事故が減るんだよね、早く導入されないかな~」くらいに傍観的に考えていたら、なんといつの間にか費用負担が回ってくるかもしれません。
今自動車メーカーも政府も、一生懸命に自動運転の研究開発を競って進めています。しかし費用を負担する者の立場から費用と便益のバランスを考えたとき、「自動運転でやる範囲はここまででいいよ、そんなにデラックスでなくていいよ」あるいは極論では「そんなに費用がかかるなら、自動運転はいらないよ」と言うこともありえます。
気になるのは、費用を負担するかもしれない者(国民)の意思決定の機会はいつあるのだろう?ということです。

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完全自動運転車にかかる「コスト」は誰が払うのか、「法整備」も高いハードルに
[松原正憲 MONOist] 2018年02月26日
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1802/27/news015.html


・・・自動運転車が普及するためには、「コスト」の観点が不可欠である。しかし、「自動運転車にかかるコストは誰が払うのか」という議論は進んでいない。これは日本だけでなくグローバルでも同様だ。

 例えば、米国自動車技術会(Society of Automotive Engineers:SAE)が定義した、自動運転レベル4/レベル5に該当する完全自律型の自動運転車(以下、完全自動運転車)が公道を走る場合は、高精細地図とリアルタイムで通信する必要がある。また、位置情報を取得する高精度センサーも不可欠だ。こうした、車両以外の仕組みを維持/運営していく通信コストやインフラのコストを誰が負担するのか。そもそも「いくらになるのか」という議論はほとんどされていない。・・・
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posted by tomi at 11:34Comment(0)関連ニュース

「自動運転車」の事故、誰が責任を負うのか

自動運転では、「自動車を運転しているのは誰?」「人間はただ乗っているだけ?」・・・・もし、事故が起きたら誰が責任を負うのでしょう?
事故原因の追究だけでも、「人間が自動運転の使い方を誤った?」「機械の故障?」「運転ソフトの欠陥?」「システムの誤作動?」・・・・事故の時に何が起こったのかを解明することは、かなり大変そうです。
自動運転は、人間のようなミスを避け安全運転を実現する、夢の技術のように思われがちですが、運転ソフトやAI(人工知能)にも学習や試行錯誤が必要で、自動車100年の経験を一度に反映させることはなかなか難しそうです。
自動運転を導入しても、想定外の出来事はたびたび起こるでしょう。あまり考えたくはありませんが、人が死傷したり、物が損害を受けたりする事故も起きてしまうかもしれません。そのとき責任の所在があいまいでは、公道を使用する交通システムとしては大変無責任なことになってしまいますし、逆に、きちんと責任がとられるようなシステムとして開発してもらいたいという思いもあります。
すくなくとも、運転者と自動車メーカーが責任のなすり合いをして被害者(歩行者)への補償が滞るようなことがあってはなりませんし、同じような事故が繰り返されるような事態は無いようにしてもらわねばなりません。
(導入を急ぐあまりに、路上で犠牲者を出しながら開発を進めるようなことは、絶対に認められません!)

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「自動運転車」の事故、誰が責任を負うのか
被害者への補償方法など普及には課題が山積
2018年02月19日 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/209184


・・・今後問題になるのは、運転をシステムにより依存させたレベル3以上の自動車が発売されると、事故の原因にシステムの誤作動や欠陥が疑われるケースが増えると予想されることだ。
そうした場合の責任の所在や被害者への補償はどうなるのか。自動運転車の普及に向けてクリアすべき法的な課題は山積みだ。国交省は2016年秋に「自動運転における損害賠償責任に関する研究会」を立ち上げ、法律の専門家など有識者が中心になって議論を進めている。・・・
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posted by tomi at 08:42Comment(2)関連ニュース

クルマの技術は向上しているのに、どうして子どもが犠牲になる事故は無くならないのか

「どうして子どもが犠牲になる事故は無くならないのか」 至極まっとうな疑問にもかかわらず多くのメディアは取り上げない問題について、窪田順生氏が言及した記事を紹介します。
子どもの被害を、全体の事故件数減少や、ビッグデータ中での統計に埋もれさせる訳にはいかないのです。なぜなら私たちにとって子どもはこの上ない宝のはずであり、その命のためにまだまだ「できること」があるはずだからです。
実際日常的に起こってしまっている交通事故で、「仕方がない」と思えるものがあるでしょうか。いちいち内容を見るのも嫌になるほど、ずさんな事故原因ばかりです。そして通学路で事故(事件)が起きる度に、大人はいかに事前の対策をしていなかったかを思い知ることになっています。
悲惨な事故を防ぐには、私たちの日常を見直すこと、当たり前と思っている便利を手放すことも必要になります。それに対して「いや何かいい方法があるはずだ」「そうは言っても不便は困る」と言ってグズグズしてきたのがこれまでです。でもそれは「優先順が違うだろう」とメディア側であえて言及したのが窪田氏です。

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クルマの技術は向上しているのに、子どもの事故が続く背景
2018年02月06日 窪田順生,ITmedia ビジネスオンライン
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1802/06/news041.html


またしても痛ましい事故が起きてしまった。・・・・
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クルマ自体は安全技術が増しているにもかかわらず、登下校中の子どもが犠牲になる事故は後をたたない。・・・・
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確かに、警察庁のデータをみれば、17年の事故数は47万2069件、負傷者57万9746件と減少していて、死亡者3694人は過去最小だという。年間1万人以上が亡くなって「交通戦争」になんて呼ばれた時代のことを思えば雲泥の差だ。

が、一方で子どもたちの周囲だけはいまだに「交通戦争」がガッツリ続いている。・・・・
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(冒頭一部のみ引用)



posted by tomi at 09:38Comment(0)歩行者の安全・事故

自動運転~本当に望まれているのは「自動運転」なのか「予防安全」なのか

自動運転に関連するニュースが盛んに伝えられていますが、その中で「本当に自動運転に求められるのは何なのか」という大切な問題に言及した記事がありましたので、ご紹介します。

(記事冒頭の要約)
■そもそも自動運転開発の目的は
1 安全で快適な車両の提供
2 新しい交通システムの創造
「快適な車両」は付加価値であり、一種過熱したブームに近いものが混在している。

■自動運転レベルで最も重要なのは「レベル0」
「自動緊急ブレーキ」や「横滑り防止」など、事故を未然に防止したり、事故のインパクトを軽減したりする「予防安全」に関する機能である「レベル0」
自動化・自律化以前の段階と考えられている「レベル0」だが、「自動車事故を減らす」という自動運転技術の目的から鑑みれば、最も進化が望まれるのはレベル0の機能である。

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本当に望まれているのは「自動運転」なのか「予防安全」なのか
2018年01月30日 MONOist
http://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1801/30/news003.html


posted by tomi at 06:02Comment(0)歩行者の安全・事故

自動運転にまつわる「命の選択」

自動運転の開発に伴うプログラミングで迫られる「選択」を取り上げ、「自動運転の責任の所在」という問題を論じた記事がありました。
自動運転は判断のプログラムの集積で成り立っていくので、そこでは何らかの「選択」を決めなくてはならないのだろうことは想像できます。
必要とはいえ、そのように人の運命が単純化類型化されてしまうことに嫌悪感を覚えます。
自動運転システムの下では、街を歩いている自分の命も自動運転車によって刻々と選別されるのかと思うと、空恐ろしい感じがします。
記事では犠牲者の多い少ないを「選択」の事例に上げていますが、犠牲者の多い少ないの比較以前に、「無関係な人の犠牲を極力避ける」ことを優先しないと、自動運転の社会正義は保てないでしょう。
また、ここまでプログラミングするとなると、自動車メーカーが無条件に免責となることはあり得ないと思います。ただし事故検証は大変複雑になり、最悪の場合責任の所在が特定できず、犠牲者への補償が宙に浮くような事例が多発するかもしれません。
このさい、自動運転車は極力もろくて柔らかいボディーにしたらどうでしょうか?
(つまり、事故の結果生起する「運命」は極力自動運転車側で引き受けるというスタンスです。)

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自動運転、責任の所在はどこに
2018年01月19日 ITmedia NEWS
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1801/19/news109.html


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 AI(人工知能)により、自動車が自動運転を取り入れつつある昨今、避けて通れないのが「トロッコ問題」だ。20世紀の哲学者が提唱した問題で、「あなたは分岐器の前にいる。制御不能になったトロッコを放置すればその先の線路上にいる5人が死ぬ。分岐器を別路線に切り替えれば5人は助かるが、別路線にいる1人が死ぬ。どうするべきか」といった問題だ。

 これは自動運転車について言い換えられる。「人身事故が避けられない状態。直進して横断歩道の歩行者5人をひき殺すか、曲がって壁に車をぶつけ、歩行者たちを救う代わりに搭乗者1人を犠牲にするか――」

 運転者が人であれば、どのような判断にせよ運転者の責任が問われることになる。問題は、これをAIが判断しなければならないということだ。判断の合理性も説明できなければ、信頼できるAIとはいえない。・・・

・・・(以下略)